大菩薩 大黒茂谷


2023年5月26日(金)
まっさんと大黒茂谷を遡行してきました。

沢登りに行くのは実に3年ぶり。
今回、まっさんとどこか沢登りに行こうという話になり、まっさんに提案してもらった大黒茂谷に行くことしましたが、沢の知識の乏しい僕でも、この沢の名前は知っていました。

かの有名な山岳文学の名著「山と渓谷」の作者にして、偉大なる奥秩父の先駆者・田部重治。
その田部重治が大菩薩嶺に登った後に迷い込み、遭難に至った場所、それが大黒茂谷で、岩波文庫の「新編 山と渓谷」に収録されている「甲州丹波山の滞在と大黒茂谷」という話にそのときのことが書かれています。



そんなわけで、今回はまっさんと共に田部重治の足跡を辿る聖地巡礼の旅です。

まずは三条新橋の駐車場から泉水谷林道を1時間ほど歩き、入渓地点の大黒茂谷出合まで行きます。
出合のところには写真の標柱があり、近くに沢床に降りる階段もあるので、沢床へ降りて沢装備を着けて入渓。
遡行図に記載されていた泉水谷を渡る橋は流されてました。



大黒茂谷に入ってすぐに巨岩のゴーロ帯になり、その後の堰堤を左岸から巻いてしばらく進むと、最初の連瀑帯が始まります。
最初の滝は釜が深いので左岸から巻き。



倒木の橋を渡って深い釜を越え、ゴルジュに入ります。



ゴルジュの中の小滝を2つぐらい越えると、後はしばらく平凡な渓相が続きます。



遡行図には「右岸の岩壁に守られたきれいなナメ床」と書かれている場所。
沢の様子が変わったのか、きれいなナメ床というにはちょっとショボい感じ。



2つ目の連瀑帯。
最初の滝を登れないかオブザベしますが、無理して登るほどの滝でもないので、左から巻きました。



6m幅広の滝を直登するまっさん。



僕は水流の左側の簡単なところを登りましたが、まっさんは敢えてホールドのない真ん中の部分にチャレンジしてました。

連瀑帯を過ぎると、またしばらく平凡な渓相が続きます。



2つ目の連瀑帯の後、二俣を過ぎてしばらく登ると、15mの大滝が出てきました。
水流のところを直登することもできそうでしたが、ちょっと高さがあってロープを出さないと危ない感じだったので、右側の階段状の岩場を登りました。



続いて12mの斜滝。
ここは水流の左を簡単に登れます。



その次は8mの登れる滝が続きます。
この8m滝がホールドがちょっと小さくて一番難しい滝でした。



その後はもう大きな滝はなく、たまに階段状の滝がちょこちょこ出てくる感じでした。

奥の二俣を左に入って登り続け、途中で滝を右から巻いて登ったら、上がりすぎて沢床に戻れなくなり、そのまま斜面を稜線に向かって登り続けて、登山道の1880mぐらいの地点に出ました。



登山道に出てから大菩薩嶺の方へ40分ほど歩いて山頂に到着。

僕が山登りを始めた2012年に、初めての百名山の山として大菩薩嶺に登りましたが、この場所に来るのはあれ以来なので実に11年ぶりです。
山頂の標柱が何故か2本になってました。

山頂から丸川峠の方へ登山道を歩きましたが、その間まっさんは「何で田部重治はここから柳沢峠に行こうとしていたのに、間違って大黒茂谷に入ってしまったんだろう…」と、周囲の景色を見ながら、100年以上も昔にここを歩いた田部重治に思いを馳せているようでした。



大菩薩嶺の辺りは木が多くてなかなか展望の良い場所がありませんが、丸川峠まで来たら富士山が大きく見えました。

丸川峠からは牛首谷の登山道を降りて、泉水谷林道まで降りてからは三条新橋まで約1時間半の林道歩きが続き、この長い林道歩きがとても辛く感じました。

しかし田部重治は大黒茂谷で倒れた後、担がれて丹波山の集落まで運ばれたわけで、そのときは今の林道みたいに良い道があるわけでもないし、当時の様子は一体どんな感じだったんだろうと思いを巡らせていると、この程度の苦労でへこたれてないで、もっと強くならないといけないなという気持ちになりました。




今回のルート


7:53 三条新橋
↓ 56分
8:49~9:17 大黒茂谷出合
↓ 2時間23分
11:40頃 二俣
↓ 1時間40分
13:20~13:32 登山道の1880m地点
↓ 30分
14:02~14:10 大菩薩嶺
↓ 1時間1分
15:11 丸川峠
↓ 1時間22分
16:33 大黒茂谷出合
↓ 59分
17:32 三条新橋
Comment Box is loading comments...



山日記メニューへ